データ分析とインテリジェンス

なぜ日本でデータ分析が定着しないのか

■データ分析が活用できないのは戦略的思考の弱さが原因

日本でデータ分析(すなわちインテリジェンスであるが、データ分析の方が通りが良いのでそちらを使う)の文化を広めるためにはどうしたらいいかを考えるに当たって、そもそもなぜ日本ではデータ分析の文化が弱いのか、という現状認識について考察する。

まず、データ分析が活用されない理由を考える以前の問題として、これもよく言われるように、日本人は戦略的思考が弱いというのが一般的な認識であろう。そこから戦略的思考が弱い→戦略的思考のための情報の価値が認識されない→データ分析はその情報を作りだす行為であり、結局データ分析の必要性は低い、ということになる。したがって、先にこの戦略的思考の弱さについてその原因を考えなければならない。この戦略的思考が弱い原因についてはいくつか考えられるが、概ね「外国からの脅威が少なく、国内で揉めても隣近所で小競り合い程度が多いので長期的視野に立脚した戦略的思考が必要なかった」とまとめられる。

外国からの脅威については、海に囲まれているという場所柄である。実際外国から大規模な攻撃を受けたのは元寇と先の大戦ぐらいで、出ていったのもほんの数回程度であるのだから、外敵に備えるという考えが出てこないのも無理はない。備えることをしないのだから、情報を集めて分析するなど思い浮かぶはずもない。これが地続きだと、時には攻撃したり時には和睦したり、場合によっては支配したりされたりになる中で、直接の脅威だけでなくさらにその周辺にまで視野を広げて常に情報(データのこと)を集めて分析し、その動向を把握することが生き残りのためには必須である。

国内についても内乱もあるにはあるが、ほとんどの戦いは領域内か隣近所で、その移動距離はせいぜい数十キロ程度なので土地勘もあり、地理情報もすでにわかっていることが多いであろう。戦いも小競り合い程度が多いため、情報を集めるのも大規模でなくリーダーが主導していれば済んだのだと思われる。これが大陸だと何万、時にはもう1桁多い人数で数百キロどころでない大移動をすることになるので、とてもではないがリーダーが情報収集したり、ましてや情報収集無しでは行動できたとは思えない。

■客観的なデータ分析に基づいた意思決定の文化が無かった理由(1)データ分析に基づいた意思決定の文化が弱い

戦略的思考が弱い上にさらにデータ分析が活用できない問題として、データ分析に基づいた意思決定の文化が弱いということがある。この原因としては「人数も地理的要因も規模が小さいため、リーダーが主観的に決めれば済んでいた」ということではないだろうか。

いわば、中小企業の社長が自分で情報を集めて自分で決めているのと同じこと。会社の規模が小さければともかく、大きな企業で同じことをしたらとてもではないが目が届くわけがない。日本では軍師などの補佐役ではなくリーダーだけが目立つケースが多い気がするが、これも要するに不要だったから、ということなのかもしれない。

また、自分の考えに対して反対意見を述べると人格が否定されたごとく怒りだす人がいるのだが、反対されると面子をつぶされたと考えるのが原因のようだ。部下の話に耳を傾ける事はリーダーにとって最も大切な資質の1つなはずなのだが・・・。是非とも貞観政要あたりには目を通してもらいたいものだ。

■客観的なデータ分析に基づいた意思決定の文化が無かった理由(2)回りも誰もやっていないので差がつかなかった

文化がないのだから誰もやらない。誰もやらないから差がつかず、したがって問題にならなかったということが考えられる。今後外資系との競争や、ますます進むデジタル化によってデータ分析が広まるかというと、そんな簡単に文化が変わるわけもなくかなり懐疑的にならざるを得ない。もし目の前で変化が起きていたらすぐに取り入れられるのであれば、食事がまずいと言われる某国はとっくにその汚名を返上しているはずだ。

そんな中、織田信長が桶狭間において今川軍の位置を知らせた簗田政綱を勲功第一した話は有名であるが、日本史においてトップが情報にこれだけの価値を置いた話はめずらしい。織田信長の強さは日本人には珍しく情報の価値を理解していたからなのかもしれない。

■客観的なデータ分析に基づいた意思決定の文化が無かった理由(3)メディアを使った宣伝の効果が高い

大企業の場合、データ分析でわざわざ手間暇かけて考えなくても広告費を投じてメディアで宣伝することの方が威力が高いのであれば、そちらを選択するのは当然だろう。これが成立するのは大多数の異様に資産を持っている一般人というおそらく日本特有の事情だろうが、知的生産活動にとっては実に都合が悪い。こちらもメディアの力関係が変わればそれに合わせて変化するだろうが、インターネットがこれだけ一般的になってもデータ分析に関してはあまり動きはないので、これも大分時間がかかると思われる。

■危機を前にしたら、意識は変わるのか

では危機が起きたらすぐに反応できるかというとそうでもないのは、国家の命運をかけた戦時においてですらまともに情報を使えなかった太平洋戦争を見ればわかる通り。特にデータ分析と兵站となるとそれはもう悲惨としか形容のできない有様。データ分析についての様子は当時大本営参謀で情報参謀だった堀栄三の著書『大本営参謀の情報戦記』を読めばどれだけ酷かったかがよくわかるので、こちらも是非一読いただきたい。『大本営参謀の情報戦記』に学ぶデータ分析も参照のこと。

■日本人が情報に弱くないというのは願望に過ぎない

時々「日本人は情報に弱くない」という意見を見かけるのだが、特定の個人(よく出るのは日露戦争における明石元二郎)に焦点を当て、こういう人もいるのだからという説明になっている。しかし全体で考えた場合、投入する予算、人材を育成するシステム、情報に重きを置く文化などを考えればとてもではないが弱くないなどとは言えない。実際、特定の個人がいなくなってしまえば引き継がれることなくそれで終わりになる。

■どうやら日露戦争は例外なのだが、理由が不明

日露戦争では割と情報が機能した、とは言われている。とはいえ旅順要塞の情報不足や、黒溝台会戦における偵察情報の無視など問題はあるが。これは日露戦争時の将軍達が江戸時代に受けた武士としての教育や、戊辰戦争で現場で戦っているといったことが影響しているとは思われるのだが、昭和の日本軍との違いと原因がわかれば今後データ分析を広める上でのヒントになるかもしれない。

■それでもデータ分析の文化が無ければ生き残れない

以上より、日本でビジネスにおいてデータ分析がうまくいかない理由は、長い時間をかけて培われてきた日本人の特性であり、そんなに簡単に変わるものではなさそうである、という様子が伺えるだろう。つまりデータ分析の活用が定着しないのは必然であったと言ってもよい。文化の問題なので、今後データ分析に基づいた意思決定が当たり前になるまでにはまだまだ時間がかかることは残念ながら間違いない。

その一方で競合は待ってくれない。ビジネス程度の危機感でどの程度変化が起きるかははなはだ疑問ではあるのだが、それでもこのままだと滅びるか植民地になるかしか道は無いので、悪あがきかもしれないがこの現状を踏まえて次回はどうしたらデータ分析の文化を広めることができるのかを考えることにする。

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タグ:経営者・マネージャー向け 文化


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